金次郎と報徳社



二宮金次郎は天明7年(一七八七)神奈川県小田原市柏山の農家に生まれている。幼年期の彼は、縄や草履を、人が休んでいるときでも休まず作り続ける程の努力家だった。伯父からは爪に灯をともすような倹約を強いられても、その中で僅かな暇を見つけて本を読んだと言われている。

百年後の今日なぜ、金次郎がこの様に生き続けたのかといえば、その風をしたう人々によって支持されてきた報徳社の運動であると言われる。これは尊徳(金次郎)の農村更生策を実際に実行に移す運動で一種の農村信用組合運動というべき面を持ち、当時確かな実効をあげたところから多くの農民を引きつけている。この報徳精神を持って大日本報徳社を生み出す原動力を作ったのは安居庄七で彼は最も進んだ農業技術の教養者であった。彼は尊徳の教えを直接受けたのでも何でもないが、尊徳の弟子の誰よりも遠州に於ける報徳社の運動を通じて尊徳の本流を明治以降に伝えている。

大日本報徳社(掛川市)

全国各地で結成されている報徳社の総本山。大講堂は入母屋造りの二階建てで二階は洋風になっている。明治三十六年建築。掛川報徳社の境内にクワを持って立つ荘年期の二宮金次郎は、農村改良運動の元祖スタイルである。

淡山翁記念図書館

昭和二年報徳社境内に建築、報徳関係書類がある。