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明治に生まれた二宮金次郎は今なお各小・中学校で生き続けていた。 二宮金次郎は一人の銅像としては日本一、いや世界一の数である。読者の母校(小学校)でも二宮金次郎は本を読みながら薪を背負い、働いていたはずである。以前明治の学舎を取材したとき、金次郎の銅像を発見して懐かしさと、久しぶりに金次郎を思いだしたのとで目頭が熱くなったのを覚えている。そしていつか金次郎の特集をしてやろうと思っていたのである。子どもの頃なにげなく見ていた金次郎が大人になってもまだ心に残る存在だとは驚きでもある。なにしろ金次郎については当時何の知識もなかった。銅像から見て働きながらも勉強した立派な人だろうとは想像がつく。こんなにも有名でありながら生徒には謎の人物というのが日本の二宮金次郎なのである。 |
| 金次郎と報徳社 | ||
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二宮金次郎は天明7年(一七八七)神奈川県小田原市柏山の農家に生まれている。幼年期の彼は、縄や草履を、人が休んでいるときでも休まず作り続ける程の努力家だった。伯父からは爪に灯をともすような倹約を強いられても、その中で僅かな暇を見つけて本を読んだと言われている。
百年後の今日なぜ、金次郎がこの様に生き続けたのかといえば、その風をしたう人々によって支持されてきた報徳社の運動であると言われる。これは尊徳(金次郎)の農村更生策を実際に実行に移す運動で一種の農村信用組合運動というべき面を持ち、当時確かな実効をあげたところから多くの農民を引きつけている。この報徳精神を持って大日本報徳社を生み出す原動力を作ったのは安居庄七で彼は最も進んだ農業技術の教養者であった。彼は尊徳の教えを直接受けたのでも何でもないが、尊徳の弟子の誰よりも遠州に於ける報徳社の運動を通じて尊徳の本流を明治以降に伝えている。 大日本報徳社(掛川市) 全国各地で結成されている報徳社の総本山。大講堂は入母屋造りの二階建てで二階は洋風になっている。明治三十六年建築。掛川報徳社の境内にクワを持って立つ荘年期の二宮金次郎は、農村改良運動の元祖スタイルである。 淡山翁記念図書館 昭和二年報徳社境内に建築、報徳関係書類がある。 |
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| 金次郎の銅像が日本中に広まる | ||
![]() 掛川原谷小学校 創立100年以上の歴史を持つ小学校。 銅像は新しい。 ![]() 掛川原田小学校 銅像は新しい。オノを腰につけている。 |
さて、では金次郎(金次郎を慕う人々にとっては尊徳)の銅像はどうして日本中に広まったのだろう。一説には明治四十三年鋳金師、岡崎雪聲氏が最初に制作し、この柴を背負っている姿の銅像を見た明治天皇がたいそうお気に入りになられた。天皇のお気に入りとなればこれ以上の価値はない。これを知った岡崎の石屋、高岡市の銅器製造の人々の商魂と数々の外的要因が重なってブームになったらしい。当時の農民主尊の世の中では報徳社の活動が活発で、かつ教育勅語の下に行なわれた教育にうってつけの人物として二宮金次郎がもてはやされた。二宮金次郎像は、こういった本当の教育とは若干違うような出発が故に、だれでも知っているが子供達にはその実体がわからない人物になっていったのではないか。そしてその銅像は昭和十一年をピークに全国に競って建立された。
今回、全国の報徳運動発祥の地、掛川の他、周辺の小学校を三十校程訪れてみた。その内二十七校で、今も正門の近くに堂々とまたひっそりと佇んでいる金次郎を見つけることができた。そこには意外な発見があった。今回訪れた学校で同じ姿をした金次郎は一人もいない。顔も違えば背負うものも薪と柴があった。また、オノや印篭を持っているもの、笠とワラジを持っているもの、本の表紙は大学と論語を書かれたものなどあり、像の作者の解釈により、さまざまな姿の金次郎が存在する。 また、銅で造られた二宮金次郎は戦時中、軍の供出に遭いほとんどの小学校から姿を消した。そのため今回戦前の銅造りの像を見つけることはできなかった。100年以上の歴史をもつ小学校なのに銅像が新しかったりするのはこのためだろう。尊徳の銅まで使用しなければならない軍に戦争を続ける資格はなかったのだ。
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| 21世紀の金次郎 | ||
![]() ![]() 掛川第一小学校 創立100年以上の歴史を持つ、掛川で最初に作られた小学校。 銅像は比較的新しい。雨量計がある。 ![]() 掛川第二小学校 創立100年以上の歴史を持つ、掛川で 番目に作られた小学校。 銅像は昭和 年制作でみかげ石で作られている。 ![]() 掛川西郷小学校 銅像は新しい。比較的よく見る金次郎像 |
今の小学生に金次郎をどの様に教えているのかは解らないが、学校を訪問した時、子供達に金次郎の銅像があるか訪ねると全ての子供達は金次郎がある、ないの答えを即座に答えてくれた事は少々驚きであった。金次郎は今日から言えばあまりにも過去の人間でしかなく、しかも幼年の勉強の姿は別として、農政改良を実行した人物と言う事に子供達は興味を抱くだろうか。今日の子供達には福沢諭吉か夏目漱石の方が解りやすいのではないか。それでも福沢諭吉の銅像だったら、金次郎が薪を背負いながら勉強するけなげな姿ほどインパクトはないから、今日まで私たちの心に懐かしさと郷愁を誘うことはないだろう。
いずれにせよ金次郎の銅像は、明治政府の政策が100年以上経った今日でも改善されずに残され、かつ使われているという象徴である。 しかし私が金次郎に心をひかれ、愛着さえ感じるのは、金次郎の業績に対してではない。また、働きながら勉強したけなげな姿でもない。金次郎の銅像を見ていた幼い頃の自分を思い出すからなのである。金次郎を見ている時、私の精神は小学生に戻っているのだ。古い学校を見たときも同様である。学校にはそんな魅力がある。 この先、金次郎は二一世紀も生き続けるのだろうか。学校が子供達にとって魅力のある場所である限り生き続けるにちがいない。
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